「可哀想」から始まる恋もある

こんにちは、こんばんは、はじめまして。ひら子と申します。
お前誰やねんと思った方はごめんなさい。
暇すぎてブログ立ち上げました。

今日は2018年5月5日。ゴールデンウィーク

帰宅ラッシュとかいう春の風物詩が始まる頃です。大変ですね。まったく。

私はというと、そもそもゴールデンウィークに帰宅ラッシュとかいうイベントに巻き込まれたことは生まれてこの方一度もありません。

なぜかって?

そう、暇。

それ以外の言葉が必要でしょうか。

暇。自虐の中にもわずかに希望を覗かせるような、素敵な言葉です。

あぁ日本語って美しい。

 

さて、あなたは今、生まれてこのかた忙しいゴールデンウィークを過ごしたことのない私に対してどう思いましたか?

「可哀相」でしょうか。

もしかして「かわいい」とか思っちゃったり?

え?それはない?あぁそうですか。わざわざどうも。

それもそうでしょう。あなたは私のことを知りませんから。

とにかく、その「可哀相」という感覚について、最近思ったことがあって。

端的に言うと、可哀相とかわいいは紙一重であり、
可哀相という感覚から親愛、愛情まで発展することもあるのではないか。

つまり恋愛に応用することができるのではないかと。

 

「かわいそかわいい」という言葉をご存知でしょうか。私はどこかで聞いたことがあるのですが、あまり一般的な言葉ではないようです。
オタク的な言い方をすれば「不幸属性」といったところでしょうか。

この「可哀想だからかわいい」という少しこじらせた感情を感じることは一般的なのでしょうか。



世の中のみなさんがゴールデンウィークで浮かれている間、私は日がな一日こんなに無駄なことを有益なことを考えて過ごしていたのです。ね?暇でしょ?




ドラマや映画の可哀想な登場人物に惹かれてしまう理由

 

ドラマや映画などのフィクションだとわかりやすいです。毎回主人公やヒロインの噛ませ役になってしまう損な役回りってありますよね。

彼らは主人公のことが好きで、いろいろ画策したりしつつも実は主人公のことをよく理解している。いざという時に頼りになったり、辛い時にいつのまにかそばにいたりする。時に主人公といい感じになり視聴者をハラハラさせるが、最終的にはボロ雑巾のように捨てられるという運命にあるのです。ああ可哀想。

そのようなキャラクターに愛着を持ったり、ついつい応援したくなる気持ちがわかる人は多いのではないでしょうか。



視聴者しか知らない弱点=私しか知らない=魅力的

ただ、ただの噛ませ役なだけではこの感情は成り立たちません。そこには「私だけが知っている、彼・彼女の魅力」が必要なのです。

例えば、私が最近ハマっている海外ドラマ「ジェーン ザ ヴァージン(Jane the Virgin)」を例に挙げましょう。

あっ、このドラマご存知ですか?とてもおすすめなのでまたの機会に暑苦しく語らせてもらうとして。

主人公ジェーン(23歳・ヴァージン)の対極に位置する役、ペトラという役について今回は語らせてもらいます。

ペトラは作中ではいわゆる悪女的キャラクターで、主人公たちからは「クレイジー」などと表現されることもしばしば。実際にクレイジーなことを多数やらかしていて、不倫、虚言、画策なんでもござれ。時には犯罪に加担するようなことも。

彼女の華麗なるやらかしの履歴だけを見ると確かにどうしようもない悪い女です(主人公サイドから見るとそうでした)。間違いなく彼女のおかげで物語が面白くなっているのですが当然報われるはずもなく適当にあしらわれます。そしてその度に不死鳥のように蘇り、また新しいやらかしを私たちに提供してくれるのです。



そんな魅力を持っているのに報われない=可哀想=応援したくなる

私はこのペトラが好きでした。

私たち視聴者は神の目線からこのペトラを見ています。彼女がそのようなやらかしに至ってしまった経緯も、その時の彼女の表情も気持ちも知っています。彼女は確かに強い女性ではありますが、私たち視聴者にはちゃんと弱い部分を見せているのです。

これが「私しか知らない彼女の魅力」となります。

するとどうでしょう。なんかすごい頑張ってるのに報われない→可哀想→がんばれペトラ!という構図が出来上がります。

つまり、私だけに弱みを見せてくれている。私だけがペトラの苦労や頑張りを知っている。そしてそれが報われていないことも知っている。という前提があってこそ、愛着が生まれるのです。

これは多くの方が経験したことがあるのではないでしょうか。




世界はそれを「アンダードッグ効果」と呼ぶ

愛ではありません。アンダードッグ効果です。

 

アンダードッグ‐こうか〔‐カウクワ〕【アンダードッグ効果
《underdog effect アンダードッグ(underdog)は、勝ち目のない人、負け犬の意》選挙の勝敗予測で劣勢にあると報じられた候補者に対し、同情から多くの票が集まり、逆転勝利へとつながる現象をいう。→バンドワゴン効果
出典 小学館デジタル大辞泉

 

そう、これまでのペトラへの愛着はこのアンダードッグ効果が働いた結果です。

人は可哀想だと思ったときに情がうつる。ここでは恋愛的な情までは明言されていませんが、もともとそんなものは曖昧なものです。同情が、いわゆる愛情的な「好き」に移っても不思議ではありません。




アンダードッグ効果は恋愛にも有効

 

いろいろ調べて行くと、このアンダードッグ効果、いわゆるモテテクニックで引用されることが多いようです。やはり私の読みは間違えではなかった…!!

現実では相手はフィクションのように神の目線からは見てくれませんから、自己アピールが必要です。ポイントとしては

  • ひたむきに頑張る姿を見せつける。
  • でもなんだかうまくいかない様子をアピールする。相談する。
  • 時に弱みをみせる。さりげなく。
  • 弱みを知るのは自分だけだと悟らせる。
  • 最初は深刻になりすぎない。落ち込みすぎない。

ほーら、簡単ですね?w

弱みだけを見せ続けるのでは効果はありません。ペトラのようにやらかしまくることは無理でも、普段はやや強い、もしくは頑張り屋くらいの印象を持ってもらった方が良いでしょう。同情を誘うだけの要素は普段から仕込んでおく必要があります。

もともとなんの芯もないひょろひょろの女の子が弱みを見せてきてもなんの感動もありませんからね。意外とこういう人の方が逞しかったりしますが、それはまた別のお話。




男性が使う場合は注意が必要

 

そもそも可哀想という同情の感情は庇護の感情でもあります。そしてやや見くだしの感情も入ります。

女性の場合、「この人は自分より下だ、劣っている」「この人は能力が低い」と一旦みなしてしまうと、恋愛感情を持てなくなります。いきなり弱みを見せられて「かわいい!守ってあげたい!」と思うことはまずありません。



ある程度信頼を得られてからじゃないと逆効果

男性がアンダードック効果を活用するにはタイミングを見計らわなければいけません。

そのタイムングとは、「ある程度の信頼を得られてから」です。

女性だって誰かに頼られると悪い気はしません。

ただ、同情が効果的に働くのはある程度自分が信頼している男性のみです。

それ以前に弱々しい面を見せられると「なんかよく弱音をはいている村人A」くらいの位置付けになります。弟か友達のような存在で固定されます。

逆に信頼している相手、つまりある程度能力を認めている相手であれば、
優秀なのに周囲に理解されていなくて可哀想→こんな人が私には弱音をはいてくれた→私だけでも応援しよう

と、うまく働けば丸め込むことができます。

まあ、ここまできていたらこんな小手先のテクニックなど不要だと思いますが。

ヒモになりたいとかダメ男好きな女性に訴えかける以外では使い道がありませんね。




とりあえず結論

 

  • 「かわいそかわいい」という感情が確かに存在する
  • それはアンダードッグ効果で説明可能
  • 「可哀想」という感情は恋愛にも応用できる
  • ただし男性が使う場合は、信頼関係を築いてから

ひとまず可哀想の感情には発展系があることがわかりました。

古文の活用形みたいで面白いですねw



しかしここで一つ疑問が残ります。

このアンダードッグ効果を利用した恋愛感情は本物ではありません。
よくある歌の歌詞っぽく言えば、偽りの愛です!なんということでしょう。

そんな偽りの愛を、人は一体どこまで持続させることができるのでしょうか。

ちょっと長くなりそうなので後半へ続きます。