「可哀想」から始まった愛情は持続するのか
さてさて、前半では「かわいそかわいい」の説明とアンダードッグ効果のお話をしました。
そして前回述べたように、愛情は作ることが可能です。
しかし、このように得た愛情はいつまで持続するのでしょうか。
ここからはあくまで私の推測になりますが、
「可哀想」から乗じた愛情は長続きしない。守る対象でなくなった時に愛情は消え失せる。
と思っています。
アンダードッグ効果は永遠ではない
もともと恋愛感情というのは非常に曖昧な上にただでさえ長続きしないものです。それなのにその土台が付け焼き刃の虚構の感情では、状況が変われば一気に崩れ去ってしまう危険性があります。
というのも、先ほどのペトラの話には続きがあります。
先ほど私が好きだと行ったペトラは、シーズン1とシーズン2(以下s1とs2)でのお話です。シーズン3(以下s3)になると、ペトラの物語上での扱いが大きく変わります。
ペトラが報われた途端興味を失った
s1とs2では、先述の通り報われない周囲からないがしろにされる役回りに徹していました。あくまで主人公ジェーンの影の存在です。
しかしs3になるとそれらの力関係がひっくり返ります。具体的にいうとネタバレになりますが、とりあえずは「報われた」といっても良い状況です。
するとどうでしょう。私は一気にペトラに対する興味が消え失せました。
突飛な行動を取ることが減り、単純にキャラクターとしての面白みがなくなったことも理由の一つですが、
それ以上に「私だけが知っている彼女の魅力」に周囲のキャラクターが気づき始めたこと、それによって周囲からの扱いが変わったこと、最終的に報われて幸せになりつつあることがつまらなくなってしまったのです。
結局私が好きだったのはペトラというキャラクター自体ではなく、「可哀想で周囲に理解されないけれど必死にあがいて頑張っているペトラ」だったのです。
あ、やっぱ主人公の方が大事だわ
そんな好調なペトラと相反するように、主人公ジェーンは超低迷期に突入します。
さっきからペトラペトラ言っていますが私はジェーンも普通に好きです。
ジェーンが苦しみ嘆く姿は、ドラマの中とはいえ胸が痛みました。
結局私たちは主人公が一番なんです。いわば本命なのです。
主人公には幸せになってほしい。
主人公が不幸に終わればそれはバットエンドだし、幸せになればハッピーエンドだと表現します。当然のように。
それは打算も何もない、ただ好きだから幸せになってほしいという健全な情です。
本命と二番手の超えられない壁
そこで感じてしましました。
本命と2番手の圧倒的な差、超えられない壁を。
これはもう仕方のないことです。
人は儚いものに憧れますが、結局明るくて楽しくて丈夫なものが好きなんです。
カゲロウよりセミの方が好きなんです(?)
すまないペトラ。やはり主人公の威光には勝てなかったようだ…
偽りの愛を育てよう
やはり偽りの愛では本命には勝てない…それはしかたのないことです。
しかし恋愛とはいつだって継続した人間関係の上に成り立つものです。
そこがフィクションとは違うところですね。
このようなテクニックは、ただのきっかけ作りです。
容姿が優れている人がちょっと微笑むだけのレベルのものです。
息をするように恋のきっかけをつかめる彼らは一体何者なのでしょうか。
圧倒的な魅力を持って立ち向かってくる本命に打ち勝つには、結局自分本来の魅力で勝負するしかないのですね。
可哀想だからかわいい、なんてひねくれた感情でつなぎとめられるものなんてたかが知れています。
きっかけはどうあれ、ひっかかればしめたもの。そこから偽りの愛をちゃんと育てていけばいいのです。
そういえばドラマで不倫相手になるのは大抵幸薄そうな女ですよね。
人は本能的に本命とセカンドを振り分けているのかもしれません。
恐ろしいですね。
まとめ
健全な恋愛は健全な愛情から!(雑)
おまけ:ペトラの今後の動向
s3で幸せになりかけたペトラ。 現在「ジェーン ザ ヴァージン」は日本ではシーズン3までしか公開されていません。 アメリカではつい先日までシーズン4まで放送されていました。
日本での配信もそろそろです!
ちゃんと映像をみたわけではないのですが、 どうやらシーズン4ではまたペトラが迷走し始めたようなので、楽しみに待ちたいと思いますw